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趣味としての合気道

Posted in 趣味

いくつになっても初心者になれる

趣味として合気道を始めてすでに8年ぐらいになります。

その間、なかなかうまくならなかったが、
ようやくなんとか技を覚えてきたと思えるようになってきました。
それまで8年もかかったのです。

だが、いまだに本当に覚えた、身についたと言える技は少ないです。
人間はこれでいいと思ってしまうと成長しなくなるといいます。

そういう意味で、習い事を何か一つでもするのはいいことだそうです。
何年続けていても、まだまだ上の人がいるものです。

別に競い合っているわけではないが、うまくなりたい、
あの技ができるようになりたいと向上心を持つのは生きていくうえでいいことです。

年齢を重ねると、人から直される、注意されることが少なくなります。
50歳を過ぎると、人から怒られることはほとんどなくなると思います。

習い事は、いくつになっても始められ、初心者になれるのです。

おごりたかぶっている人は素直に教えを乞うことができないので、
成長することができなくなります。

師と後輩はいくつになっても大切

また習い事をすると、師ができます。
先生と呼べる人がいるのといないのとでは人生において、彩が異なるのです。
一人でも師と呼べる人ができることはその人の財産となります。

ただ、技術を教えるだけでは、師とは呼ばれない。

その技術を身に着ける過程で、さまざまな葛藤や苦労などもあったと思います。
また人に教えるには、自分の中で、咀嚼して、
解釈してからでないと教えることはできません。

人に教えることができる人は、それだけでも成長するのだといいます。

たしかに後輩ができて黒帯をいただき、合気道の技を人に教える立場になったときに、
なんとなくできていたがいざ教えるとなるととまどったことがありました。
系統だてて説明することができません。

いつもうまくかかるとは限らないなど、その時点での自分の弱点も見えてきました。
いい先生になると、正確に技の基本を教えることができるのです。
これは合気道に限ったことではなく、習い事全般に言えることだと思います。

また長く継続して稽古を続けていれば、
ある程度のレベルには達することができるとわかってきました。

継続する意思

まず継続するには意思がひつようです。
なんとなく継続したという人でも、継続する意思があって継続したと思います。

いやであればすでにやめてしまっている、
だれに強制されるわけでもないので、あたり前と言えば当たり前だが。

合気道の技は奥が深いです。
相手の力を逆に利用してそれで、技をかけるのです。
力を抜け、まだ力が入っているとよく言われてきたが、
最近は力が少し抜けてきたようです。

だがまだまだであります。
相手の力を利用するまでにはいたっていません。
まだまだ修行が足りないのです。

道がつく習い事全般に言えることは、その習い事は人生に通じるということです。
師を持てるのも、修行するにも、人生全般と考えると
つらい人生もなんとか乗り切ることができるように思えてきます。

習い事にはそんな力があるようです。
だから好きで何かやりたいと思ったら、
何か始めてみることをお勧めしたい、何かが始まるのだから。

女性の資格ということではないが、合気道の指導者をめざすのはお勧めです。